クマはなやんでいた。
自分はニギニギか、スタイか。
主観的にはニギニギだが、
客観的にはスタイなのかもしれない。
主観がニギニギだということは、
たしかにクマは、ニギニギであった。
しかし、このよのなかには、
じぶんよりも、じぶんではないもののほうがおおい。
つまり、客観でとらえられるスタイである自分が、
あっとうてきに多いというわけだ。
たしかにクマは、スタイでもあった。
いや、スタイであるべきなのである。
クマはなやんでいたが、
しばらくして、それもあまり気にならなくなってきた。
ニギニギでもスタイでも。
まあ、どっちでもいいか。
という気分にかたむいてきている。
ニギニギでもスタイでも。
どっちでもいいか、というそんなスタニギーな気分に。